そして僕達は聖夜に眠る




 寒さを紛らわせる為に、ウォッカをショットで一杯というだけで、まるでロシア人のようだと笑われるのは常の事だ。それらの絡みを別段気にする事無く、続けざまに雪国、マティーニ、ウォッカ・アイスバーグ、ロングアイランドアイスティーと注文し、まともに味わいもせずに喉へ流し込んでいった。
 最初の頃に頼んだパスタはやけに量が多かったが、まだまだ食べ盛りという事もあり、とうの昔に胃袋に収めてしまい、腹は丁度八分目というところ。手持無沙汰に食器を鳴らすのも行儀が悪いので、ジョニィは新しく頼んだスレッジハンマーを眺めながら携帯のディスプレイを確認した。

 12月24日、22:00__クリスマス・イブも、残り僅か。

 今日は早めに帰って課題を終わらせようとしていたのに、何故こんな時間まで酒を煽っているのか。そもそもは今日という日が悪いのだ、とジョニィはディスプレイに表示された日付を睨みつけた。

 講義中は気にするでもなかったが、休み時間になると嫌でもジョニィの視界に彼らは現れた。食堂の片隅や、中庭のベンチに集うカップル、カップル、カップル。人目を憚る事無く、今日はそういう日だからと公衆に構わず二人の世界に浸る姿は、傍から見ると非常に鬱陶しい。その光景を夢に見て、ジョニィに告白してくる異性も少なくはなかったが、そのどれにも良い返事を返していない。つまり、ジョニィは所謂独り身、というやつだ。
 そんな状態でカップルの群れが四六時中視界に入ってくると、誰だって気が殺がれるというもの。今日は調子が悪い、と乗馬部の先輩にあたるディエゴに連絡すれば、念の為に医務室へ行け、と返事が返ってきたが、解りきっている原因の事を考えると少しばかり罪悪感が湧いた。

 クリスマス。偉大な聖人の生誕日にして、恋人達の日。フと、行きつけのバーで働いている想い人がジョニィの脳裏に過った。
 あの人はどうしているだろうか、放っておく異性はいないだろうけど。
 くすんだ色合いだというのに酷く艶やかな髪を、他の誰かが今この瞬間に梳いているのだと思うと、胸がチクリと刺されたように痛みだす。単なる想像、しかし高確率で的中しているだろうと思われるそれは、ジョニィの心臓を鷲掴みにする。
 しかし、逆にそこまで明らかならば、結果を見てしまった方が良いと思った。今日はバーの定休日でもないし、仮に定休日だとしてもクリスマス・イブやクリスマスに休みを取る飲食店など存在しないだろう。いつものように店に入って、カウンターに座れば良い。座って、一杯飲んで、帰って、課題でもして、この不毛な恋心に終止符を打てば良い。どうせ自分の想い人はいないのだ。今頃、恋人とクリスマスを満喫しているところなのだから。






 と、半ば自暴自棄に陥っていたのが数時間前。

 「お〜、ジョニィじゃねぇか。いらっしゃい、ニョホッ。悪いけど今手が離せねぇからよ、いつもんとこ座って待っててくれな」

 いつものように想い人、ジャイロに迎えられたのも、数時間前だ。
 一瞬呆気に取られたが、何とか応えていつものカウンターに腰を下ろした。店内はやはりと言うかカップルが多く見られ、一人のジョニィは若干場違いかと思ったが、カウンターに座ってしまうと余り気にならなくなる。カウンター席に座ると、視界に広がるのは様々なボトル、グラス、戸棚から覗く色彩豊かな果物、そしてバーテンダーの姿だけだ。
 今は誰もいない。
 決して人手が足りてない訳ではないのだが、本来であればカウンターに入っていなければならない筈のジャイロは、ジョニィが席にいる時だけは何かとカウンターを離れる事が多く、ホールや、時にはキッチンにまで移動する。客として恭しく接客をされるよりはマシだが、これは余りにも気を使わなさ過ぎというか、下手をすれば避けられているようにも思えた。
 今になって言及する事でもないし、こんな事を一々口にするのも女々しいので何も言いはしないが、ジャイロが女性客と接客ついでの長話に華を咲かせる度に、後ろ向きに考えざるを得ない。面倒な餓鬼に絡まれるからカウンターにいたくない、と言われれば一生立ち直れないとすら思う。
 疎まれても仕方ない、とはジョニィ自身も思っている。意味も無い事を只管話す事もあれば、愚痴を零す事も珍しくはないし、挙げ句の果てに未成年の癖に酒を飲むジョニィの事など、バーテンダーであるジャイロからしてみれば許せないだろう。もしジョニィが酔い潰れて騒ぎになれば店は営業停止、傍迷惑というどころでない。ジャイロに年齢を教えた時はかなりの驚き様だった。

 段々と沈んでいく思考は止まらずに、グラスに伸びる手も止まる事無く、話は冒頭に戻る。ホールを動き回る他の従業員に注文した酒を全て消化して、少しばかり思考がグラつくが、今はそれが心地良かった。スレッジハンマーという名前に相応しく、ジョニィの脳髄を痺れさせながら緩く熱を灯していく。酷く穏やかに下降していく思考も気持ち良いと感じ始めたのを察知したのか、偶々か、ジョニィがカウンターに突っ伏そうと椅子に深く座ったところで、ジャイロがホールから帰ってきた。



 「やれやれ、女は元気だね〜」

 カウンターの中で一、二度背伸びをして首を鳴らすジャイロは、随分フランクな接客をする。他の客へは解らないが、少なくともジョニィに対しては、かなりフランクだった。ジョニィが手持無沙汰に読んでいた雑誌を覗き込み、興味津々に記事を追う翡翠は手を伸ばせば容易に触れられる距離だ。

 「クリスマスだってのにこんな所で酒飲みながら雑誌パラ読みしやがってよ〜、お前マジで爺臭ぇよな〜」
 「恋人放って仕事に精を出すよりマシだろ」

 漸く話せたというのに、口から零れるいつもの憎まれ口が嫌になる。しかし、クリスマスに働いているから、と淡い期待を持っても虚しいだけだ。後日にでも、顔すら知らない恋人とデートするジャイロは想像に容易いし、そうともなれば皮肉の一つでも言いたくなるものだ。

 「何だ、彼女は仕事だからってブー垂れてんのかよ」
 「僕に恋人いないの知ってるだろ……。君の事だよ。君の彼女に同情するね」

 折角の恋人同士の日なのに、恋人と過ごせないなんて悲惨だ。街に溢れているカップルを眺めながら一人で過ごすなんて嫌気が刺す。とジャイロを非難すれば、予想外の返答が返ってきた。

 「残念でした〜。俺はお前さんと違って独身ライフ満喫してんだよ」



 一瞬思考が止まり、嬉しさが込み上げてきたが、顔に出そうになったところでグラスに口を付けて誤魔化す。決して、決して期待してはいけない。頭では解っているが、僅かにでも見えた可能性に本能が縋りつこうとする。男であるジョニィが、男であるジャイロに恋心を抱くなど、常軌を逸している事はジョニィ自身よく解っている。
 誤魔化す為に流し込んだアルコールは、それでも厭にジョニィの脳髄へ熱を灯す。

 「はぁ……お前な〜、こういう日は好きな奴に告白するっつうのが常套手段だろ〜?あ、まさか好きな奴の一人も二人もいねぇのか?寂しい奴だな〜」
 「好きな奴が二人も三人もいるとかおかしいだろ。僕だって好きな人ぐらいいるよ」
 「え、どんな奴?可愛い?綺麗?グラマラス?」
 「後ろ姿とかが綺麗で、噛みつきたくなるような唇……って何でジャイロにそんな事教えなきゃなんないんだよ!!」
 「ニョホホホホホッ!成程、成程、ジョニィはその子に御執心って訳か」

 今なら羞恥で死ねるとさえ思った。誰と言及している訳ではないのだが、本人と面と向かって賛辞するのは甚だ込み上げるものがある。本当はもっと沢山の言葉で飾るべきなのだが、片思いの現状では意味がない。

 「アプローチとかしねぇの〜?メールで誘うとか」
 「だって、アドレス知らないし」
 「それぐらい聞けよ」
 「聞いたって無理だよ、きっと教えてくれない」
 「そのベイビーフェイス引っ提げて聞かれたら、大概の奴は喜んで教えるんじゃねぇのか?お前さんみてぇな男、最近流行りだろ」

 僕の葛藤を知りもせずにこの男は、と内心で歯を噛み締めるジョニィだが、それは口にだせそうにない。もしジャイロが異性だったなら、今頃既に告白しているというのに、立ちはだかる性別の壁がそれをさせない。

 もどかしい。
 苦しくて、胸を掻き毟ったとしても已まない痛みを、触れられる距離が増幅させる。この感覚はよく知っていた。酔って、酔い潰れる一歩手前の感覚だ。カウンターに突っ伏して何とか乗り切ろうとするが、緩んできた涙腺が思考を凝り固まらせる。

 大袈裟なほど大粒の涙が、眼球に膜を張り視界が歪む。拗ねるな、と笑い掛けてきたジャイロだったが、ジョニィが鼻を啜った事で慌てだした。

 「お、おい、おいって。泣くなよ……まさかベイビーフェイスっての、気にしてたのか?……なぁ、ジョニィ、泣くなよ〜……」
 「僕がっ……僕がどんなに好、きっ……でも、伝わらないんだ……。伝えたって、ウザがられて……嫌われる、なら……僕は今の、ままで……良いんだっ」

 好きな人の前でこんな醜態を晒して、本当は穴に埋まってしまいたいし、あわよくば消えてしまいたいが、一度緩んだ涙腺は中々落ち着いてはくれない。
 ジャイロの慌てる声が頭上から降ってくる。困らせたくはないのだが、この状況を打開する術を、今のジョニィは持ち合わせていない。情けないぞ、ジョニィ・ジョースター。男の癖に泣くなんて。男の癖に、男を好きになるなんて。

 「そんな一生懸命なお前さんに告白されて、嫌な奴はいねぇと思うぜ?」

 優しく、それこそ母親が我が子にするように頭を撫でられて、ジョニィは更に自棄に陥った。現実は残酷だ。こんなに近くに、こんなに温かく触れられる温もりを離せと迫るのだから。
 このままでいたいと思う。でも、このままではいられないと知っている。想いを胸に秘めたままは辛いから、この手を夢に見るのは辛いから。
 ジャイロに触れられたのは初めてだった。これが最初で最後のプレゼントだとしたのなら、サンタクロースも随分粋な事をしてくれる。しかし、ジョニィにとってはそれだけで充分幸せだった。だから、楽になって、帰って、思いっきり泣いてしまおうと決めて、口を開いた。



 「……ジャイロ……君が、好きだ……」



 その瞬間に、ジョニィは体感時間が遅くなっていくのを感じた。
 心臓の鼓動一つ一つがまるで腹に響くように重く、後ろにいる店内の喧騒も耳から遠く離れていく。走馬灯のように脳裏を過ぎ去っていくジャイロとの思い出は手放し難く、でもそれももう失わなければならないと思うと、新たな涙が頬を伝う。

 「知ってる。俺もジョニィが好きだぜ」



 呆気らかんと放たれた言葉に、思わず起き上がってジャイロの顔を凝視した。

 「……ちょっと、ちょっと、さあ!!僕の人生賭けた告白を君の下らないギャグと一緒にしないでくれよ!!」
 「テメー、俺のギャグ馬鹿にしてんじゃねぇよ!密かにネタをメモしてんの知ってんだからな!つうかこんな話でギャグ飛ばす馬鹿野郎いねぇだろ!!」

 驚きの所為か、ジョニィの涙は綺麗に引っ込んでしまい、視界は良好だ。一瞬意味を履き違えているのか、からかわれているのか、と思ったが、ジャイロの目はそのどちらにも当て嵌まる事無く、ジョニィを見つめている。

 「あのな〜、俺こう見えてもちゃんとしたバーテンダーなんだぜ?バレバレだっつーの。特に俺が女と話してる時のお前の顔、見せてやりたいね」
 「な、なっ……な、何でそんな事……!!」

 さっきまでの泣き顔が一転、今度は羞恥で顔が一気に赤くなるジョニィを見てジャイロは金歯を光らせて笑った。接客業の中でも殊更客に対しての観察が重要だと随分前に聞いた記憶はあるが、みっともなく妬いていた様子を知られていたとは思わない。

 「何でって、そりゃあ……好きな奴は気になるだろ」

 カウンターにいたらバレそうだったから動き回っていた、と告白するジャイロに、当初の予想が杞憂であった事を知り、内心で安堵の溜め息を吐いたが、急展開が重なり過ぎて思考が追いつかない。
 夢でも見ているんじゃないかとすら思うほど話が上手過ぎる。何の気なしに自らの頬を抓るとジャイロに笑われたが、そうでもしないと現実味がない。結局痛みだした頬に現実だと思い知らされたのだが。

 あ、と漏らしたジャイロの声に、グルグルと明後日に向かっていた思考を引き上げた。

 「ジョニィ、ジョニィ、ちょっと来い」
 「何だよ、僕今忙しいんだけど」

 脳内がパンクしそうだから、正直なところ放っておいてほしかったのだが、如何せん顔が真剣なので逆らおうとは思わない。ジャイロに手招きされるまま、カウンターから身を乗り出したジョニィの視界に、薄く伏せられた翡翠が近付いた。



 「Buon Natale, amore mio」



 酷く熱っぽい視線と掠れた甘い声に、もう一度強請るように手を伸ばせば軽く頭を叩かれる。誘ったのはそっちだとカウンター越しに睨めば、悪戯っぽく窘められた。

 「……一回だけ?」
 「さっきは誰も見てなかったし」
 「……今だって誰も見てないよ」
 「がっつくなよ、後で好きなだけすりゃあ良いだろ?」

 その台詞にゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえたらしく、ジャイロが思わず噴出してカウンターの中に引っ込んだ。嬉しいのと、恥ずかしいのと、昂っているのと、全てが合わさって何とも言えない気持ちに陥る。  下手なドラッグでもキメたような気分だった。気分の高低が激しいのは酒の所為だという自覚はあるが、余りにも差が有り過ぎて数年前に嗜んでいた危ない遊びを思い出した。あの頃に比べて、今はなんて平和で、穏やかで、そして今日はなんて幸せな日なのだろうと頬が緩む。
 そして漸く思考が安定した頃に、先程ジャイロが言った台詞が引っ掛かった。

 「ジャイロ、さっき言ってたのって何て意味?」
 「あ〜?秘密だ、秘密。それよりほら、これ見ろよ〜!」

 カウンターから姿を見せたジャイロは、少しばかり控え目なホールケーキを取り出してジョニィの目の前に置いた。

 「じゃ〜ん!ジャイロ・ツェペリ特製のクリスマス・ケーキ!!」

 可愛いと言うべきか、器用だと言うべきか。自慢げに感想を求める視線を痛いほど感じながら、ジョニィは口を開いた。

 「……毎年作ってんの?」
 「当たり前だろ〜?やっと一人で食わなくなるんだと思うと俺、泣きそ……」

 わざわざクリスマスの度にケーキを作るジャイロの姿を想像して微笑ましく思うと同時に、自分が勇気を出すのを待っていたのかと思うと、胸が熱くなる。出来る事なら、自分と同じ間、同じぐらい思っていてくれたなら、と嫌な願望まで鎌首を擡げ始めたところで、ジャイロが今度はジョニィにも分かるように聖夜を祝福する台詞を零した。

 「メリー・クリスマス、ジョニィ」
 「……メリー・クリスマス、ジャイロ」
 「プレゼント用意してねぇんだけど、何か欲しいもんとかあるか?」
 「ジャイロ、君が欲しいな」
 「もうやっただろ、欲張りめ」

 口に含んだ甘さよりも、空気に滲む仄かな明かりよりも、ただただ今日という日が愛おしくて、ジョニィは聖夜にまどろんだ。







2012-12-25
Buon Natale...