「もう俺ファニーと結婚する〜!!」
「……ウェカピポ、助ける素振りぐらい見せてくれないか」
目の前の光景を無視して料理に手を付けていると、ファニーから非難の声が上がったが、ウェカピポは黙々と料理を口に運ぶ。机を挟んだ向かい側にはビールを片手に渋い顔をするファニーと、隣の席からファニーの腕にしがみ付くジャイロの姿。男同士がそんな絡み方をしていて、気持ち悪いといえば気持ち悪いのだが、座っている状態で少しでも俯いてしまえばジャイロの外見は女性と偽っても違和感はない。
至って在り来りの居酒屋で、もう当たり前の光景と化してしまったそれに対し一々反応するのも馬鹿だと思ったが、毎度絡まれるファニーを憐れむ気持ちが無い訳でも無いので、少しだけジャイロに離れるように声を掛けた。
「ジャイロ、教授が離れてほしいそうだ」
言われた途端、弾かれたように顔を上げたジャイロに驚いた二人の視線が集まる中、見る見るうちにジャイロの双眸が潤んでいく。
「い、いや……私も何か食べようと思ってな。ジャイロは良いのか?ウェカピポに食べられてしまうぞ?」
「ううん、俺は平気〜。食べさせてやるよファニー!ほら、あーん」
泣かれては敵わないと、何とか交わした筈なのに、事態は予想の斜め上を通過していった。ファニーとしては、目の前で隠そうともせず噴出したウェカピポを殴ってやりた気分だったが、それよりも箸で口元に料理を持ってきて、期待を込めた視線を送ってくるジャイロをどうにかしなければならない。ならない、のだが、諦めるしかなさそうだ。
「……あー……」
「美味しい?なあ、美味しい?」
「……ああ、ジャイロに食べさせてもらって美味しくない訳がないだろう」
遂に顔を覆って爆笑し始めたウェカピポと、満足そうにしているジャイロと、どちらをどうしたものかと思いつつ、ファニーは口に入れられたものを咀嚼しながら、ついつい助長するような言動をとってしまう自分の口を恨んだ。
そもそもどうしてこうなった、と考えるのはいつのもの事で、もう慣れきった事だった。
先程ファニーがウェカピポに教授、と呼ばれた通り、ファニーもウェカピポも、そしてジャイロも大学関係者だ。
それぞれ学部の主任を務める者、准教授を務める者、そして院生と、深い訳でも浅い訳でもない関係だが、ファニーとウェカピポは学生時代からの先輩後輩にあたり、ウェカピポとジャイロは同郷の出身。元々人懐っこいジャイロの提案で一度飲みに行ったのを切欠に親交を深めた、という訳なのだが、ここ一ヶ月ほどのジャイロの様子は変だった。
一見クールなジャイロは、人との関係において一線を置く癖があり、逆に一度心を開けば上下関係を気にせずにとことん甘える質だ。ファニーに甘えるのも、ウェカピポと馬鹿話に花を咲かせるのもいつもの事だったが、こう毎度毎度酔い潰れるのは珍しい。
だが、原因は単純にして明確。ただの恋煩い、というやつだ。
「ファニーは〜、ジョニィと違って優しいし〜、ぎゅってさせてくれるし〜、もう大好き〜!!」
ジョニィことジョナサン・ジョースター。大学の乗馬クラブでかなりの好成績を収めて、将来を期待されている学生の名前だ。一ヶ月ほど前にそのジョニィという学生に御執心だとカミングアウトされて以来、ジャイロはこの調子だ。
そんなに好きならばアプローチを仕掛ければ良いじゃないか、と何度も言ったのだが、ジャイロは既に試みていると突っぱねるばかり。何か出来る事が有れば、と思わなくもないが、厭でも付きまとう教授という立場から出来る事は、ジャイロにレポートを見てもらえば良い、と勧めるぐらいだ。
とは言っても、ジャイロなりに中々頑張っているらしく、休みの日にお互いの家で飲む間柄にはなったらしい。しかし、そこから先に進めない、と酒に当たる。
解らなくもない。大学を卒業して既に二年は経つジャイロと、入学してまだ一年程度のジョニィの感覚は傍目に見ても違い過ぎる。それ以前に、男同士という壁がある。
傷付くぐらいなら、終わらせた方が良い。
「恨むなよ」
小さくそう呟いて、急にジャイロの携帯から何処かへ連絡をいれたファニーを見ながら、ウェカピポは、お人良しめ、とぼやいた。
それから数十分ほどジャイロの愚痴とも惚気ともいえない話を聞いていた二人だったが、突如現れた青年に漸く安堵の息を吐いた。
「あの、教授、僕に用事って……?」
ジャイロの携帯からファニーが呼び出したのは、先程から話題に上がっているジョニィ・ジョースターその人だ。夜も遅い時間にいきなり呼び出されたジョニィは状況をよく把握出来ていないようだったが、机に突っ伏したジャイロの様子を見て薄々感じ取ったらしく、お疲れ様です、と漏らした。
「済まないが、ジャイロがこの通り潰れてしまってね……私が送っても構わないのだが、彼の家を知らなくてね。生徒である君にこんな事を頼むのも申し訳ないのだが、君とジャイロは親しいと聞いているから……」
「大丈夫です。僕が言ってもあれですけど、教授に御迷惑をお掛けして申し訳ないです。ちゃんと送りますから、心配しなくても大丈夫ですよ」
我関せず、というように食事を続けるウェカピポを尻目に、ファニーは初めて接触したジョニィを観察する。まくしたてて何とかジャイロを任せられたが、嫌々という雰囲気ではない。絵に描いたような好青年のようだ。至って普通の、好青年だ。
手痛くフられる事はないだろうが、また暫く酔い潰れるジャイロを見る事になりそうだ、と浅く溜め息を吐き、ファニーはジャイロを立たせる。
「ジャイロ、ジョニィに家まで送ってもらうと良い」
「やだやだ、俺ファニーの家が良い〜!」
案の定な反応に今度は深く溜め息を吐いたファニーだったが、ふと感じた視線に顔を上げると、表情を無くしたジョニィの姿が目に映った。呆れているのか、否、憔悴しているのか、否、どことなくじりじりと肌に感じるその感情の名前にはかなり覚えがある。というより、知らない訳がない。
「ジャイロ、ほら、教授の迷惑になるから行こう」
意外に強い力で引き剥がされたジャイロに、ますます確信を深めるしかないファニーは、嫌な笑みを浮かべてジョニィに耳打ちを一つ。
ジョニィの顔が更に強張ったが、一ヶ月も茶番に付き合ったのだから、これぐらいの悪戯は可愛いものだ、とファニーは二人を見送って席に着いた。
残されたのはファニーとウェカピポ。
飲み直しに新しいビールを注文して、ファニーは口を開いた。
「ウェカピポ、あの二人がどうなるか賭けないか」
「フられる。そして一ヶ月ぐらいは凹むだろう。確定だ。5000円賭けたって良い」
料理を口に運ぶ手を止める事無く、即答で言いきったウェカピポに、ファニーは運ばれて来たビールを一気に煽って答えた。
「付き合う。それも、今夜だ。確定だ。私は君の二倍賭けよう」
「何だ、教授も酔っ払っていたのか。後になって取り消しは無しだぞ」
上機嫌で酒に口を付けたウェカピポに、心中で笑いつつ、ジョニィの活躍を願った。
居酒屋からはジャイロの家より、ジョニィの家の方が幾分か近いので、ジョニィはジャイロを連れたまま迷わず自宅へ帰ってきた。
勝手知った他人の家、とでも言うように、ジャイロは靴を脱いだら早々にベッドに倒れる。その姿に溜め息を吐きつつ、先程のファニーの言葉が頭の中で反響してジョニィの心中を乱す。
__次は私が彼を貰う__。
体温が凍てつくような、そして一気に燃え盛るような感覚に襲われた。たった一言、されど一言。今まで我慢に我慢を重ね続けていたジョニィにとって、それはまさに火に油を注ぐようなものだった。それでも、それでもジャイロに秘めたる想いを告白して、戸惑わせたり、嫌われたり、距離を置かれたりでもしたら、到底立ち直れそうにない。
長身のジャイロに半分以上占拠してしまったベッドの片隅に腰を掛け、風邪をひかないように布団を掛けていると、焦点の合わない目でジャイロがジョニィを見返した。
「あれ〜?何でジョニィがいんの〜?」
どうやら居酒屋からの一連の件を覚えていないらしい。
「ジャイロ、今日はもう遅いから寝よう?」
「夢〜?夢だろ〜?だってさっきまでファニーとウェカピポと飲んでたんだからよ〜。ジョニィいなかっただろ〜?」
例え想い人とも言えど酔っ払い相手は面倒なものだ。話し相手に付き合ってやるのも良いが、生憎と明日は朝から用事があるので、そう言ってもいられない。
早々に切り上げて寝ようと、ジョニィは適当に話を流すことにした。
「そうだよ。これはジャイロの夢の中。あんまりここにいると、朝起きれないよ?」
「夢ならキスしてくれよ」
途端に明確に発音された台詞にジョニィの思考が止まる。
思わずジャイロを見返すが、酔っているにはいるらしく、相変わらず焦点は合っていない。それだけならまだ良かったのだが、酔いの所為もあり、若干赤らんだ頬に潤んだ目は、ジョニィにとって凶器でしかない。
「ジョニィ、好きだ、キスして……」
完全に夢だと思っているジャイロは赤裸々な胸中を躊躇する事無く吐き出すが、ジョニィにとってみれば、これは思い掛けない事態、事件、ハプニング、ラッキーだ。
途中でジャイロの酔いが覚めようと、翌朝の用事に響こうと、もう関係ない。
ベッドに転がったままのジャイロに覆い被さり、ジョニィはそのふくよかな唇にキスを落とす。一回、二回、と啄ばまれるようなバードキスに焦れたジャイロが、ジョニィの首に腕を回せば、もう止まらなかった。
呼吸の為に薄く開いた唇に舌を潜り込ませば、くぐもる声が艶めかしい。歯列をなぞって舌を絡めれば、必死に答えながら名前を呼ばれる。
我慢出来ない、と一旦口を離して服を脱がせようとジャイロの襟元に手を伸ばしたジョニィだったが、耳に届いた余りにも深い呼吸に意識を引き戻される。
「……まさか自分で体験するとは思わなかったなあ……」
自分はこんなにも昂っているというのに、今度こそ夢の世界に入ってしまったジャイロを目の前にしてしまえば、ジョニィに為す術は無い。
艶やかな髪を一撫でして布団を掛けてやり、ジョニィ自身はソファに横になって部屋の明かりを落とした。
しかし、余りの出来事に興奮して暫くは眠れそうにない。数ヶ月想い続けていた同性の相手と、実は両想いでした、など、今時下手な小説にも書かれない内容だ。今日というこの日を神に感謝しても良いと本気で思うほどには興奮していた、が、ジャイロが酔っ払っていた事を考えると、起きてからまた一問答しなければならないだろうとも思う。
心中で自分を呼び出し、更に焚きつけてくれたファニーに感謝しつつ、しっかりと翌朝の告白プランを立てながら、ジョニィも目を閉じた。
翌日の大学構内にて、ファニーは目を白黒させるウェカピポと共に、花を飛ばすジャイロの姿を目撃したとか。賭け金は勿論__。
「Dirty Deeds Done Dirt Cheap…まだまだ甘いな、ウェカピポ」
2012-12-09